あさがお葬儀社紹介センターの相談員日記 - 2008/10

葬儀の相談はあさがお葬儀社紹介センター

2008年10月30日(Thu)▲ページの先頭へ
「自分の生き方として直葬を選びます」
 「火葬のみをすごく安い値段で引き受けているところがあって、挙げ句社員があちこち走りまわりヘトヘトになっても収益に繋がらなくて大変みたいですよ」
 ある葬儀社の担当者から聞いた話です。
 勿論ボランティアではありませんから、他からの利益はあると思いますが、これではうっかりすると荷物運びと同じになってしまわないか、サービスは二の次になってしまわないか心配です。
 
 2〜3年前から都会を中心に家族・親族のみでお見送りする家族葬が盛んに言われ、最近ではご葬儀なしで火葬場に直行する直葬という言葉が新聞雑誌等にも盛んに見受けられます。
 これに対して眉をひそめる向きもいらっしゃいますが、安値の話は論外にしても、これも一つの生き方という捉え方はできないでしょうか。
 金銭的なことばかりではなく、ご自分の最後をどうするかの選択肢の一つとして該当者自身が希望される場合も増えてきているようです。
 少し前ですと、ご自分の葬儀を前もって考えること自体が縁起でもないと周囲から片付けられてしまいましたが、今や、人生最後の締めくくりは自分の意思のもとにとはっきり打ち出せる環境も整ってきているようです。
 
 先日もそんな方からお電話を頂きました。
 「夫婦とも今は元気ですが、80歳になりますので、最後をどうするか話していたところ新聞に直葬のことが書かれていて、これだと思いました。仕事で1千万円以上もする戒名の葬儀に出たこともありますが、私達の場合は最後お花を入れて見送ってもらえればそれで結構です。無宗教ですし、霊園にお墓もありますので・・・」
 依頼者の火葬場は前もって予約しておけば、火葬炉前でお花を手向けたり、最後のお別れに10〜15分間いただけます。
 見積りを手にされた依頼者から早速お礼のお電話をいただきました。
 「どちらかが万が一の時は、息子達に見せてお願いすることにします。有難うございました」。
 張りのある弾んだ声に「いつまでもお元気で・・・」思わずこちらも負けずに声を張り上げていました。


2008年10月29日(Wed)▲ページの先頭へ
ご依頼者様の声
あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧いただき、ありがとうございます。

当センターでは、ご依頼者に対し葬儀施行後アンケートにご協力いただいております。その中でも掲載許可をいただいた、ご相談者様の声を公開させていただいております。

http://www.asagao.or.jp/support/koe.html

「ご依頼者様の声」はこちらです。

毎月1日前後に更新をしております。
ぜひご覧下さい。


2008年10月24日(Fri)▲ページの先頭へ
シェイクスピアの時代から花は時として人の心を代弁します・・・。
花祭壇のお花は「生前故人が大好きだったカスミ草を中心に」、「忘れな草を遺影の周りに・・・」「通夜が丁度母の日になりますので赤が好きな母のために赤いカーネーションで飾ってください」。
 ご葬儀全体ではまだ少数ですが、豪華さを競うよりも故人の好みのお花を希望される方が増えてきたようです。
 そして、それはその方らしさが伝わり、時としてお花だけでその方の生き方までも垣間見せてくれます。
 
 以前、無宗教葬の方で式場は柩の周りの白い薔薇だけにしてくださいとのご注文がありました。
 献花も白い薔薇で、柩の傍らの奥様だけが真紅の薔薇を手にされていました。
 友人の方々の弔辞が次々と披露され、最後のお別れ花は柩の周りの薔薇を切り、お一人お1人に手渡され、白い薔薇に埋め尽くされたところに最後奥様の薔薇が手向けられました。
 その鮮やかなコントラストが今でも目に浮かびます。
 写真は御法度、一切を残さないというご喪家のご希望でしたが、それだけに会場にいらっしゃった方々の胸に深く印象付けられたご葬儀だったと思われます。
 
 先日鑑賞したジョン・エヴァレット・ミレイの絵画「オフィーリア」では花の持つ力を改めて実感させられました。 
 小川に沈んでいくオフィーリアの周りに描かれた花には花言葉で重要な意味が込められています。
 「オフィーリア」の原作者シェイクスピアの戯曲や詩には約140種類もの植物が登場し、全てに意味を持たせているとも言われています。
 「オフィーリア」の絵の中には柳、野薔薇、薔薇、ケシ、忘れな草、パンジー、ひな菊、スミレ、きんぽうげ、ミソハギ等それぞれの意味合いを持った花が「オフィーリア」の心の叫びとなって画面全体に溢れ出ているようです。
 花は無言でも、心の代弁者と成り得るようです。

 
 
 
 


2008年10月21日(Tue)▲ページの先頭へ
死に際の「オフィーリア」を観る不思議・・・・。
 黒山の人の列は先ほどから止まったままで皆さん1点を凝視しています。
 その視線の先には今まさに川面から沈んで行こうとしている少女がいます。
 でも助けようとしている人は誰もいません。
 助けるどころか皆さん腕を組み息を殺して見入っています。
 少女の名は「オフィーリア」。そうです、かの有名なイギリスの劇作家シェイクスピアのハムレットに出てくる悲劇のヒロインです。
 オフィーリアの命が亡くなる寸前を描いたのはイギリスを代表する画家、ジョン・エヴァレット・ミレイ。その回顧展が渋谷にありますBUNKAMURA・ザ・ミュージアムで開催中でしたので覗いてみました。
 最初にこの少女に出会ったのは20年ほど前の友人のスクラップ帳の中でした。
 スクラップされていた朝日新聞の絵画紹介記事の中でも鮮やかと緻密な描写力が群を抜いて観ていると画面に吸い込まれそうな錯覚をおこさせるほどでした。

 写真以上にリアルに描かれたうつろな表情の少女と両岸の植物の鮮やかさが異様なコントラストを見せ臨場感漂わせ、物語をさらに能弁に語らせているようでした。
 花環を小川の柳の垂れ下がった枝に掛けようとした時、枝が折れ花環もろとも川の中へ。すでに狂気の世界に心奪われていた少女にとってこの瞬間に何を思ったのだろうか。
 王妃ガートルードが語る死の場面
 「裳裾が広く広がって丁度人魚のようになって、しばらくは水面に浮かせておりました。やがて衣裳は水を含んで重くなり、楽しく歌うあのかわいそうなお人を川底の死の泥の中へ引きずり込んでしまいました」。(大山俊一訳)
 
 少女はすでに小川という柩の中に収まっているようにも感じられ、小川に浮かんでいるお花は、柩の中に手向けられた最後のお花のようにも見られます。
 黒山の人垣の後ろから、おもわずそっと手を合わせていました。
 

 


2008年10月18日(Sat)▲ページの先頭へ
産経新聞で掲載されました。
産経新聞に、ゆうゆうライフという企画面にライフプランという特集記事のコーナーがありますが、「今から考える葬儀のこと」(上)(中)(下)と題して、9月22日〜24日朝刊で3日間にわたり特集記事が組まれています。

(上)では、盛大な葬儀が影をひそめ、家族やごく親しい人だけで送る家族葬や、儀式なしに火葬のみで済ませる直葬など、この10年余りで様変わりしてきた葬儀の傾向とその要因が取り上げられています。

(中)では、葬儀は高額なサービスにもかかわらず、葬儀費用についての情報が乏しいという状況を踏まえて、それがもとでのトラブルや葬儀費用について取り上げられています。

(下)では、後悔のない葬儀にするための、事前の情報収集と準備について取り上げられています。

読んでみて、ひとつにまとまった新聞記事としては、地に足がついた感じを受けました。

といいますのも、マスコミでよく取り上げられるのは、目新しさを求めるあまり、宇宙葬であるとか、特殊なイベント化した葬儀や、散骨や、遺骨からダイヤモンドをつくる等々・・・であったりするからです。

たしかに興味深いニュースではあるでしょうが、実際にそうした変わった方法というのは全体からの割合からすれば圧倒的少数派です。

としますと、葬儀についてもっと伝えられてしかるべきは、この特集記事のような、多くの人が関心を持つことのほうではないのかという気がしました。

ちなみに、当センターも9月23日付の(中)で取り上げられました。(以下はネットに転載されているものです)

今から考える葬儀のこと(中)



   


2008年10月15日(Wed)▲ページの先頭へ
葬儀担当者の秘訣は親戚のおばさんの目線になれるかどうかで決まる・・・。
 「先日のご葬儀では奥様と奥様のお母様から、亡くなられたご主人のご実家のことを随分聞かされました。お子さんがいらっしゃらないから、今日が最後だなんておっしゃってました。」
 ちょっと物騒な話をしているのはこの道数十年のベテラン葬儀担当者です。
 皆さん担当者に会うと一様に、ご葬儀の合間でも親戚のおばさんに長年の思いをぶちまけているような気持ちになり、聞いてもらえる人にやっと出会えたとばかりに、話し込まれていくようです。
 さりとて担当者はご家庭の事情を根掘り葉掘りうかがうわけではなく、ひたすら聞き役に徹しているようです。
 
 また、ご家族だけでお父様を見送られた1人っ子の喪主の方がショックで火葬になってもフラッとしていらしたので、ひっくり返られては大変と大丈夫と言われるまでしばらく腕を掴んでいましたよとも。
 世話焼きなおばさんは予想以上の会社関係者で混雑してきた会場に、どなたを先に座らせるか周りの空気で察し、さらに、臨機応変にイスを置き換えて、いつの間にか皆さん全員を座らせていました。気がつくと、先ほどまでのざわついた空気が一変し、静寂の中に読経の声だけが響いていました。
  
 ご葬儀の仕事を天職のように思って動き回っているよろず相談役の担当者は先ほどの喪主の奥様には「小声でそっと49日までは忍の一途ですよと言っておきました」とのことでした。


 


2008年10月12日(Sun)▲ページの先頭へ
ご葬儀でも音楽が思いがけない力を発揮することがあります。
 映画「おくりびと」では主人公がチェロ奏者だったという想定のもと、チェロの音色が観客の心に染み渡ってくるように随所に使われ、映画全編をささえているようでした。
 チェロの音だけで生死の感情をこんなにもストレートに出せるのかとびっくりしましたが、楽器の中で人間の音域に一番近いと聞き、大いに納得させられました。
 
 ご葬儀に立ち会っていますと時として流れている音楽が思わぬ効果を発揮することがあります。
 以前、60代の女性の方のご葬儀に伺った時も、音楽を聴いて万感胸にせまるものがありました。
 無宗教葬のご葬儀は故人の大好きだった音楽をとのご要望で、式の始まる前からずっとジャズが流れ、穏やかな雰囲気の中で式は進行していきました。
 やがて、会葬者お一人お1人の献花が始まると、一気に音楽は越路吹雪のライブ盤に代わり、臨場感溢れる華やかな音楽と沈黙の献花が鮮やかなコントラストを創り、それはまるで若くしてお亡くなりになった無念さを訴えているようでした。
 歌が盛り上がればなおさら悲しみが倍加されるようにも感じられました。
 最後はさとうきび畑の歌でご出棺になりました。
 突き抜けるような青空の下、お見送りした後も、さとうきび畑のざわめきだけがいつまでもリフレインして耳に残り、しばらく立ち尽くしていたほどでした。
 


2008年10月06日(Mon)▲ページの先頭へ
映画「おくりびと」での「食べる」行為は生と死を能弁に語っています。
 人間「食べる」という生々しい行為と生と死という厳粛な現実は一見水と油のようですが、どこか表裏一体の感があるようです。
 食べることは対象となるもの、それは動物であれ、植物であれ、全ての命を奪うことになります。
 それが動物や魚であればよりリアルに表現されます。私達は今まで生きていたものが動かなくなることで死をはっきり認識し、それを口に入れ「尊い命をいただきます」ということになるのでしょうか。
 
 映画「おくりびと」でも、「食べる」シーンが随所に出てきます。それも重要な箇所で。「食べる」という行いだけで観ている人に時間の経過やより深い意味合いを感じさせています。
 いきなり飛び込みさせられた最初の仕事で、腐った肉体と対面させられへとへとになって帰ったその夜の食卓は、生きた鳥をひねりつぶした鳥なべで思わずもどしてしまうシーン。
 仕事に慣れてきたクリスマスの夜には、事務所でチキンを貪るように食べる納棺師の姿がありました。
 主人公が仕事をやめようと決心し伺った社長の部屋ではふぐの白子を美味しそうに食べている社長の姿がありました。
 何も聞かず、主人公に網であぶった白子を差し出し「死ぬ気になれなきゃ食うしかない」と言って「困ったことにな」とつぶやく社長がいました。
 主人公が納棺をした後、お礼にもらった新聞紙にくるまった干し柿を社長と一緒に車の中でぱくつくシーン。
 生まれ故郷に帰りたい一心(?)で死ぬのがわかっていながら川を上っていく鮭の姿。
 時としてユーモラスな、また滑稽な姿を見せながらも「食べる」シーンは能弁に語っているようです。


2008年10月03日(Fri)▲ページの先頭へ
映画「おくりびと」を観て思ったこと、その2・納棺師の仕事とは・・・。
 「新しい浴衣とパンツをご用意しておいてください」万が一の時、前もって病院の看護師さんから指示があります。最近はパジャマが多いとのことですが、着物の方が袖の下に空きがあり断然着せやすいようです。お疲れの看護師さんたちのためにも洗濯済みの浴衣でよろしいですからご用意しておきましょう。
 着替え、簡単なメイクは病院側でもほどこされるため、通常の場合あえて納棺師のご登場ということは少ないようです。
 また、長患いの方、諸般の事情でご家庭のお風呂に入れなかった方には「湯灌の儀」で身体を洗い清めてそのまま、髭剃り、メイク、旅支度への着替え等、全て湯灌の業者側ですませることができます。
 ですので、納棺師の役割はむしろご遺体が安らかな状態ではない場合に一番発揮されるのではないでしょうか。映画「おくりびと」では流れるような所作に目を奪われがちですが、主人公が最初に出会った死後2週間たった孤独死の老人の納棺。このような出来事に向かい合える真摯な気持ちがご喪家の心を揺さぶるのではないでしょうか。
ご喪家のお気持ちを汲み取り、修復していく作業はいかばかりのものなのだろうか。
 
 通常、一連のご葬儀の流れの中で納棺の儀は病院から搬送後ご家族立会いのもと、葬儀社の担当者が取り扱うことが多いようです。担当者はできるだけご家族皆さんの手を煩わせながら、お見送りをするように心がけているようです。
 但し、生前のご病気如何によっては体液から感染することもあるので処置を素早くするか、何もしないかの判断が求められることもあると聞きました。
 ご遺体をやたらに動かしてはいけない場合もあるようです。

 葬儀社の担当者の中には一つひとつが余り分業になりすぎるのはと疑問視される向きもいらっしゃいました。
 


   




カレンダ
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